無関心、指示待ち、大きなこども・・・。パパが親としての自覚を持ってくれないのはなぜ?
先日、子育て中のママさんにお話を伺っていたら、家庭の中でパパさんがまるで「大きなこども」のように手のかかる存在で、同じ男性としてちょっと申し訳なくなってしまいました。
思い起こせば、わたしも妻に対して、「朝起こしてくれなかった」、「シャツをクリーニングに出してくれていない」と怒っていた頃がありました。面倒なことは任せっきりで、かといって手伝いもせず、やってもらっているのに感謝もしない。やってくれなかったら、怒る。今思えば、小学生のこどもを見ているようで、本当に恥ずかしい限り。
しかし、冷静に考えてみると、ちょっと不思議なんです。わたしも含め、パパさんだって、家の外ではそれなりに大人として振る舞っています。仕事のメンバーや取引先には気配りもしますし、人に何かやってもらえば感謝の言葉も返します。そんなパパさんが、なぜ家庭の中でだけ、こんなにも独りよがりになってしまうのでしょうか。
また、「大きなこども」まではいかないにしても、家のことはいつも「指示待ち」だったり、妻が家事育児をしている隣でゲームやテレビに夢中になっていたりと、親としての自覚不足を嘆くママさんの声は、よくお聞きします。そう、パパさんは、ママさんに比べ、親としての自覚が明らかに不足しているのです。
そこで今回は、なぜ、パパさんの中に親としての自覚が育ちにくいのか、その背景には一体何があるのかを、パパさんの心理を考察することによって、ひも解いてみたいと思います。
「泣いている我が子を自分でなんとかしよう」という発想自体が出てこない。
パパに「こどもを見ておいてくれる?」と頼んだら、泣き続ける赤ん坊をただじっと見続けているだけだった。こんな笑い話のようなことが、現実としてあります。ママさんからすれば、ありえないことですよね。
ただ、上記のようなパパさんにとっては、「泣いている我が子を自分でなんとかしよう」という発想自体が出てこない、これも事実なんです。まさに、自分が子育てをするという事実を受け止められていない状態。真っ先に「どうやって泣き止まそうか」と考えるママさんとは、根本的な心構えが違っているということです。
そうなってしまう要因の1つとして挙げられるのが、性別役割分業の意識です。「家事や育児をするのは女性」と無意識レベルで思っていれば、自然と当事者意識も薄くなってしまいます。自分の親の世代はそれが普通だったため、そういう家庭で育ち、自分でも気づかない間にそう考えているというケースも多いと思われます。
そして、この意識が大き過ぎると、家事育児の延長として、自分の身の回りの世話まで期待してしまう心理が働き、結局は妻が全部やってくれるだろう、やってくれなければ逆に腹が立つ、という独りよがりな状態に陥ってしまいます。いわゆる、「大きなこども」状態です。そういうパパさんは、決して少なくないでしょう。
こどもが生まれた時点でのパパさんの意識は、妊娠が分かった時点でのママさんの意識と同等レベル。
それでは、性別役割分業の意識がなくなれば、パパさんの自覚不足は解消されるのでしょうか。話は、そう単純ではありません。
ここで注目して頂きたいのが、準備期間の差です。ママさんだって、妊娠が分かった時点で、急に親としての自覚ができる訳ではありませんよね。自らのお腹の中でこどもが育っていくと共に、親となる覚悟や命を預かる責任感が、少しずつ育っていきます。自らの体の変化によって、仕事や生活のスタイルも変わらざるをえませんし、否が応でも、親になるという実感を得ることになるのです。
しかし、パパさんには、そういった実感を得る機会がほとんどありません。仕事や生活のスタイルだって、変わらない場合が多い。パパさんが、初めて、それらしい実感を得るのは、生まれたこどもをその手に抱いた時でしょう。つまり、こどもが生まれた時点でのパパさんの意識は、妊娠が分かった時点でのママさんの意識と同等レベルということになります。
そんなパパさんに、すぐに覚悟や責任感を求めるのは、ちょっと酷な話だと言えます。10ヶ月のハンデをわずか数日で取り戻せるスーパーマンは、そうはいないでしょう。親としての自覚は、そんなに簡単に身につくものではありません。
パパさんの自覚不足は、必然的に生み出されている。
ママさん自身は、ごく自然に、親としての自覚を育んでいっているので、自分だけがどんどん先に進んでいっているという事実に、なかなか気づきません。そして、子育てが始まってから、愕然とするのです。「あれ? ひょっとして、この人、親としての自覚ないんじゃない?『こども見ておいて』と言ったら、本当に見ているだけで何もしていない・・・」と。
一度こうなってしまうと、大変です。ママさんは、「パパには任せられない」と思って行動するので、精神的にもスキル的にもどんどん差が広がっていってしまいます。パパさんにしてみれば、こどもが生まれてようやく親としての自覚が芽生え始めたものの、なかなかそれを成長させる機会がなく、気づけば「指示待ち」というスタンスに落ち着いてしまっていた、ということになります。
そしてまもなく、ママさん1人では子育てが手一杯になり、パパさんに助けを求めることになるのですが、パパさんはすでに「指示待ち」状態。これが、ママさんの苛立ちを誘発することになります。パパさんは、「言われた通りにやっているのに、文句ばかり言われる」と不満を感じ、余計に子育てから遠ざかるという悪循環です。
こうやって見てみると、パパさんの自覚不足は、そこに至るまでの過程によって必然的に生み出されていることが分かります。パパさんが甘え過ぎているからとか、ママさんの言い方が悪いからとか、そういった単純な話ではなく、そうならざるをえないような過程そのものに原因があると考えたほうがいいでしょう。
まずは、「親になった実感(親になる実感)」を得る機会を増やす。
パパさんの中に親としての自覚が育ちにくい理由やその背景は、分かりました。過程そのものに原因があるため、なかなか解決しにくい問題だと言えます。では、いったいどうすればいいのでしょう。
不満をストレートに伝え、話し合うのか。おだてたり褒めたりしながら、うまくパパさんを教育していくのか。こどもを完全にパパさんに預け、大変さを実感してもらうのか。はたまた、「そういうもの」として受け入れるのか・・・。「これなら絶対にうまくいく」という答えがある訳ではないので、それぞれの状況に合わせ、試行錯誤していくしかありません。
ただ、1点、気をつけたいのは、自覚というものは基本的に本人の問題なので、パパさんに「自覚させる」ことをママさんが目指してしまうと、期待通りの成果が見られず、イライラが溜まってしまうことがあるという点です。この辺りは、こどもが自分の思い通りにならずイライラしてしまう親の心理とよく似ています。
しかし、本人任せにしていると、いつまで経っても成長が見られず、それはそれでイライラが溜まってしまいますので、「自覚させる」ことを目指すのではなく、まずは、パパさんが「親になった実感(親になる実感)」を得る機会を増やしてあげることから目指してみてはいかがでしょうか。そこが、ママさんとの決定的な違いなのですから。
家族が集まり、それぞれの家族を助け合う。「家族ラボ」という試み。
最後に、オヤノミカタのパートナーでもあるJUSO Coworking様が「家族ラボ」という活動をされているので、その紹介をさせて頂きたいと思います。「家族ラボ」とは、「家族が集まり、それぞれの家族を助け合う」ことをコンセプトとした取り組みで、家族をもつ人やこれから家族を考える人が、男性も女性もこどもがいるかいないかも関係なく「家族」に関するテーマで集まり、情報交換などをおこなっています。
今回の「親としての自覚」の話に限らず、家庭という密室では、パートナー間の考え方が食い違った際にどうしても対立しがちです。「家族ラボ」のようなオープンな場で、さまざまな視点を持った人たちと意見交換し、自分たちを客観的に見つめることができれば、より良い方向に進めるのではないかと思います。
ママとパパ、未婚と既婚、こどもの有無、こういった垣根を超えて「家族」について話し合える場というのは、なかなか貴重です。関西圏にお住まいの方は、一度、足を運んでみてはいかがでしょうか。